その運転ちょっと待った!! 危険に対する意識
関西は梅雨が明けたそうですね。
ジメジメした日々から解放され、明るい毎日を送りたいですね。
どうも、オルマンです。
前回まで、3回にわたって僕が実際に経験した交通事故について述べてきました。
今回は、一連の騒動を経て感じたことを記していきたいと思います。
近年、高齢者による交通事故が多発し、多くの命が犠牲となっている。
ということは、テレビで見て知っていたし動画サイトなどで高齢者の危険な運転の様子を見る機会もあった。
でも、どこか他人事であったのは言うまでもない。
多くの人は、自分や近しい人が経験したことでないとなかなか現実のものとして考えられません。テレビやスマホの画面越しの世界は、フィクションの世界として認識されがちです。または、自分にはこんなことは起こらないと決めつけてしまいます。
そんな僕の身に事故は起こりました。
この話を「現実に起こりうるものとして考えて欲しい」とあえて前振りを入れます。
今回の僕の事故は、あくまで『自損事故』です。
僕の運転技術が未熟で起きたものであり、相手の方に刑事的責任はありません。
(という警察の判断)(民事的責任は負う)
この結果について、僕自身反省すべき点はあるし、気をつけようと思っています。
がしかし、やはり事故の発端は相手の車です。
一時停止をし、左右を確認して発信していれば僕が急ブレーキを踏むことも
横転することも、バイクの色が変わってしまうこともなかったわけです。
この事故の相手の方と話して一番怖かったのは、
『危険に対する意識の低さ』です。
「前の車が進んだから、自分もいけると思った。」
あんな車通りが多く信号のないT字路で??
きっと多くの人は、横から走ってくる車が怖くてあんな場面でアクセルは踏めないと思います。
「道を急いでいた」とか「夜でバイクが見えにくかった」といった理由の方が、危険なことをわかっているので、今後は気をつけてくれそうです。
でも、今回のおじいさんは、特に急いでもいないのに危険なことを考えられていないのです。
一時停止や左右の確認を悪気なく怠っているのです。
若い頃は気をつけていたんでしょうが、現在は年齢と共に危険に対する意識が低下していると言わざるを得ません。
道の真ん中で横転している僕が、助け出されて歩道に避難するまで車から降りてこないことからもいえるのではないでしょうか。
普通は、降りてきて助けようとすると思います。
また、速度超過や逆走なども遠志ことだと思います。
老化による運動能力の低下も、運転には大きな支障をきたしますが、もっと怖いのは危険に対する意識だと思います。
(運動能力が落ちてきても、危険に対する意識が高ければそれ相応の運転をすれば問題ない)
『免許返納』
今一度考え直して欲しいことです。
高齢者の方、その家族に限らず全ての人たちが、
「自分の運転は果たして大丈夫か」と自分に問うたり、周りのに聞いてみてください。
現在では、免許返納によって多くの特典があります。
このことをもっと多くの人に知ってほしいし、広めるべきです。
また、特典の内容ももっと見直してもいいかもしれません。
それによって、免許返納者が増え尊い命が守られるならば安いものです。
他にも、定期的に運転能力を検査したり、事故を起こした年齢や内容によっては減点以外の措置も考えるべきではないでしょうか。
交通事故によって生まれる、被害者や加害者が少しでもいなくなることを願います。